1822(文政5)年、蚕種の産地であった上州・島村(現、伊勢崎市境島村)に生まれる。学究肌の父・弥兵衛を受け継ぎ、父子で東北など蚕種の産地を訪ね、蚕種製造に適した養蚕方法を模索。こうした経験をまとめ、弥平が著した「養蚕新論」・「続養蚕新論」は、実証的な研究書として高く評価され、多くの蚕種家・養蚕家に影響を与えた。自然の摂理に則って蚕を飼育することを説き、蚕室を改良し換気のための「やぐら」(屋根の上に設けた越屋根で、天窓ともいう)を考案した。渋沢栄一と縁戚関係にあったことから皇居の養蚕にも出仕した。詩書の際に恵まれ、画技にも巧みな文化人でもあった。