上武絹の道ブログ

「世界遺産の楽しみ方 web出張版」第3回~「百済(くだら)」の都を訪ねて

2019.09.25

静かな時の流れ 百済の都、扶余
 
これまで2回、国内の世界遺産の話題をお伝えしましたが、これから少しずつ海外の話題も入れていきたいと思います。

8月末にお隣、韓国の世界遺産を見る旅に出かけました。今年7月以降、日韓の関係はぎくしゃくしており、
訪日する韓国人も大きく減っているという報道をよく見かけますが、私が乗った羽田発ソウル・金浦空港行きのフライトはほぼ満席でした。

韓国には現在14件の世界遺産があります。朝鮮王朝時代の宮殿や城郭などの建造物が登録されているケースが多いのですが、
今日ご紹介するのは日本の古墳時代から飛鳥時代にかけて栄え、日本とも深い交流があった「百済(くだら)」という国の都だった扶余(プヨ)という町です。

300年ほどの百済の歴史で、最後に都が置かれたのが現在の扶余で、当時の王宮跡や寺院址、王陵などが残されており、「百済歴史遺跡地区」として2015年に世界遺産に登録されました。
現在は人口8万人ほどの静かな地方都市で、町のあちこちに遺跡が散在しています。

その中でも特に有名なのが「定林寺」という寺院の跡です。
門から塔、金堂、講堂と南北に一直線に堂宇が立ち並ぶ形式で、周りを回廊が囲んでいました。
今は、扶余のシンボルともいえる石造りの五重塔だけが往時の建物で、あとはほとんどが基壇を残すだけになっています。この五重塔、6世紀に建てられたもので、高さは8メートルあまりと小さいものの、石造文化の国、韓国らしくすべてが石でできているにもかかわらず、青空をバックに軽快なフォルムを見せてくれています。
この日は、観光客も少なく、韓国では吉鳥として親しまれているカササギが2羽、伽藍の間を飛び回っているのが印象的でした。

仏教は、百済の黄金期にこの地から日本へと伝わっており、京都・広隆寺にある「弥勒菩薩半跏思惟像」とそっくりの黄金の仏像が
当地でも見つかっているなど、日本とのつながりの深さを感じさせます。
定林寺址に建つ博物館には、仏教の伝来のルートを地図で示す展示がありましたが、百済から日本へと矢印が引かれているところにあらためてこの地の重要性を感じました。

そういえば、大阪市には「百済」というJRの貨物駅がありますし、滋賀県東近江市には百済にちなんで建てられたとされる
「百済寺」(ひゃくさいじ)というお寺もあります。扶余には、ほかにも百済の栄華を示す遺跡や博物館が点在しており、
ゆっくり見て回ると丸一日かかります。
ちなみに、同時期に日本の都であった「飛鳥」は、「飛鳥・藤原の宮都と関連遺産群」として、世界遺産の正式な候補である「暫定リスト」に記載されています。
同じ時期に都であった日韓二つの遺産を比べてみるのもよいかもしれません。